2008年11月30日

特定社労士試験受けた


名古屋で特定社会保険労務士試験を受験。合格率はかなり高い試験で落ちたら少し恥ずかし

いかもしれないけど、まあいいか。試験問題自体は難しいとみんな言ってたな。それにキッドの

場合、解答用紙の記入する欄を1題と半分間違えたところに記入して(ボールペンで書くので

間違えても消しゴムで消せないため二重線を引いて修正する)汚い解答記入になってしまった

ので、採点する先生がキッドの力作答案をちゃんと読んでくれるかも心配だ。間違ったところに書き込んでいたことが、

判明したときの精神的な衝撃はそれはそれは大変なものだったが、1問題半(400字くらい)を二重線で修正してから

また試験を続けて曲がりなりにも(汚い解答用紙になってしまったが)全問解答まで立ち直ったのはまあ解答の内容

は兎も角として投げ出さずにやり遂げたという小さい達成感は、確かにあった。合否結果は3月とのことで吉とでても、

凶とでても、そんなに先ではこの小さな達成感は、忘れていることだろうな。この試験の前には研修があってそれを修了

して始めて受験資格ができるのだが、試験申し込み日までに間に合わなくて研修だけ修了して静岡からはるばる来たの

に今回試験は受けれないという人がいた。締切日が早すぎたのでまにあわなかったのだ。ちゃんとした規則だろうけど

あまりに”つめたいカゲロウ” な対応だ。
http://jp.youtube.com/watch?v=74EEsKxVtUo&feature=related  

Posted by コンサルキッド at 00:24Comments(0)労務管理

2008年11月16日

けんぽ

拳法ではなく健康保険=健保のことで。

本日はるばると島田で(近いかな?)勉強会に出席した。先日は政府管

掌保険の後継組織の「協会けんぽ」について書いたが今回は健康保険

組合の健保のことだ。健康保険組合は、財政状態が苦しくて潰れて

しまい政府管掌健康保険組合で出直すところがよく話題になった。

 そういうわけなんだろうが、組合管掌健康保険の被扶養者になる

にはなかなか厳しい条件がある。



ある健康保険組合の認定対象者の収入とは?

 1 勤労収入、事業所得、農業所得、年金収入等継続的な収入

 2 事業や農業を行っているものは必要経費を除いた額(所得)
   *事業収入-必要経費<0円 の場合扶養認定

 3 夫婦収入は合算する

収入(上記)ある者の扶養認定 1,2に該当すること

 1 130万(60歳以上180万)未満かつ1/2未満 政府管掌と同じ

 2 世帯一人当たりの生計費(公式あり)を上回らないこと

このの条件がこの健康保険組合独自の難関で、こういった難易度の高い扶養認定条件は各健康保険組合ごとのある

のだそうだ。

  

Posted by コンサルキッド at 19:53Comments(0)年金

2008年11月14日

協会けんぽ

 社会保険事務所に設置されている「協会けんぽ」窓口相談員の日だ。

協会けんぽ職員の人といっしょにはいったが次回からは1人で入ることになりそうだ。

申請書の受付では傷病手当金、出産手当金が多かった。本日は書類申請と相談あわ

せて30件強(といってもけんぽ職員さんがほとんどやってくれてキッドは横で質問ば

かりなのだ)1時間に忙しいときでも8件ぐらいだったが、前に入った社労士が書き残し

た業務日誌をみると19件というのがあった。これだけいっぺんにこられるとてんてこ舞い状態だったろう。次回は月末で忙

しいかもしれないが気合でのりきろう。 (写真は、けんぽくんは、ないので刑事くん:桜木健一主演)  

Posted by コンサルキッド at 19:17Comments(0)年金

2008年11月13日

旧相良町で その2

 牧の原市で有名な海水浴場は「静波海水浴場」とまずは思い浮かぶが写真の「相

良サンビーチ」というのが旧相良町にあるのだそうだ。

 本日同行してくれた商工会の人はこの付近(旧相良町)に住んでいるそうで夏にも

是非ともこちらに仕事で(ついでに海水浴)うかがいたいもんだと余計なことを言いな

がらも一生懸命「地域力拠点事業」をしてきたよ。

 相良には、「相良サンビーチ」があることは本日知ったばかりだが、キッドの中では、相良=田沼意次なので、

またまた 田沼意次のお話。田沼時代というフレーズは、江戸幕府の3大改革:享保、寛政、天保の改革と

並び称されているので田沼意次の独裁:ワンマン政治のようにとってしまいがちだが、600石の小身分からの成り

上がりである田沼の場合、徳川吉宗、松平定信、水野忠邦のようなリーダーシップマネジメントではなくチームマ

ネジメント
で幕府運営をしていたのだ。田沼は側用人を長くやっていて老中格になり老中に移るのだが田沼意次

が、反田沼派の策謀により老中を罷免された1786当時、大老 井伊直幸 老中首座 松平康福 勝手方老中

(財務担当)水野忠友 老中 田沼意次(序列4番手か) その他老中2名という閣議メンバーと紀州藩2世を中心

とする官僚で

 ・目標共有 重商政策 メンバーの思いを共有

 ・全員参加 姻戚関係を結び運命共同体 一人が全員を生かし全員が一人を生かす

 ・自力実行 門閥で固めず(大老例外)率先垂範をメンバー全員が実行

というチームマネジメント「活性化されている職場の3要素」を実践し硬直した組織(江戸幕府)を活性化させて

いたのだ。しかし、そのことが気に食わない連中がでてきて田沼のは、チームマネジメントだから戦い(政争)に

なると、やはり強力なリーダーシップマネジメントに後れを取ってしまったのだなきっと・・キッドが思うに。

  

Posted by コンサルキッド at 21:39Comments(0)イノベーション